長野市の概要と地名の由来など-NAGANO検定対策

長野の起源

IMG_0850

長野は約2年前に飯綱高原から始まり、善光寺の門前町として形成されていきました。

明治30年に市の施行基準にあたる人口25000人を超えて、長野県下で最初の市制が施行されたということです。

ちなみに長野という地名の由来は、1570年の武田信玄の書状で歴史上初めて登場しました。長野の地名は長い穏やかな傾斜面を長野と呼んだものと考えられているそうです。

長野市の歩み

明治30年に長野市が誕生してから平成22年までに5度の市町村合併を重ねて、今日の長野市となりました。

長野市誕生 の明治30年当時は面積9k㎡、人口3万人足らずの小都市から、現在では面積834.85k㎡、人口38万人規模の都市と変貌を遂げました。

平成10年には冬季オリンピックの舞台になったのも今となっては懐かしい思い出です。

ちなみに長野市の山岳で一番標高が高いのが高妻山で標高2353m。

河川で一番大きい川が千曲川で367kmとなっています。

長野市章

スクリーンショット 2015-08-29 22.50.05

長野市の市章のマークは長野市民なら見たことがあるかと思います。この市章は、長野市の頭文字の「長」を単純化して円形に図案化したので、新しい都市のイメージを近代的に表現しています。

色の青竹色は美しい青空と澄んだ水の「青」。人々に安らぎを与える木々や草などの「緑」を融合した色です。

美しく豊かな自然と共生しながら市民の融和と団結により未来に向かって飛躍発展する市の姿を象徴して昭和42年3月29日に制定されました。

長野市の木と花

長野市では昭和62年度に

「市の木」としてシナノキ

「市の花」としてリンゴの花

を制定しました。

姉妹都市と友好都市

長野市は姉妹都市として、昭和34年3月14日にアメリカ合衆国フロリダ州のクリアウォーター市と提携しました。

友好都市として、昭和56年4月19日に中国の石家庄市と締結しました。

主要交通網

長野市の主要交通網は

東京方面からのアクセスは長野新幹線で最速1時間25分。自動車の場合関越自動車道〜上信越自動車道を利用で都内から3時間で到着できる。

名古屋方面からのアクセスは中央本線で3時間弱。自動車の場合も中央自動車道〜長野自動車道経由で約3時間です。

日本海方面へは上越ジャンクション〜上信越自動車道を利用すると1時間で到着。

金沢までは北陸新幹線をつかうと約1時間でアクセスが可能になっています。

北陸新幹線は大阪まで整備される計画となっており、完成すれば長野〜大阪間が約2時間で結ばれ、日本の三大都市間に乗り換えなしで3時間以内の移動が可能になってきます。

※NAGANO検定の公式テキストを参考にまとめています。みんなで受けようNAGANO検定。そして長野マイスターに!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする