肺高血圧症とは?産まれた時から肺高血圧症で完治までの記録

うちの子供と肺高血圧症

以前も書いたことがありましたが、うちの子供は産まれた時から肺高血圧症という病気を患っていました。

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出産に立ち会って、元気に出てきた赤ちゃんだったはずですが、いつまでたっても奥さんの病室にもどってこなかった。今回はうちの子供の肺高血圧症と完治までの記録を紹介します。

肺高血圧症の情報が欲しいという人の、少しでも情報源になれば幸いです。

生まれるまでも大変だった

初めての赤ちゃんではなかったんですが、その上の子供も切迫早産で産まれてきたんです。上の子は妊娠33週の早産で産まれてしまい、産まれてからすぐにNICUという新生児集中治療室に入院になりました。

そういった経過もあって、この子の時は万全を尽くすつもりでいたんですが、そうもいきませんでした。切迫早産はクセになるのか、この子の時も奥さんは切迫早産と診断されました。

早産を避けるために奥さんは緊急入院となり、僕は子供の面倒と家事を一手に引き受けながら会社に通う日々でした。この時は体がかなりきつかったですね。朝ごはんから始まって、子供の保育園の準備、帰ったら晩御飯を作る。

そして、食べたら奥さんが入院している病院へお見舞い。それが終わったら家に帰って洗濯と明日の用意。

もうきつくてきつくて仕方がなかったんですが、なんとか35週を過ぎた時点で奥さんは退院となり、出産を待つばかりになったのです。

ですが、妊娠中毒症にかかってしまい、もう散々な妊娠期間だったんですがようやく陣痛が来て出産となりました。

元気に生まれてきたのにベッドに戻ってこない?

早朝に待望の赤ちゃんが産まれました。その日は出産ラッシュで、4人くらいの赤ちゃんが産まれたのを覚えています。

出産に立ち会い、無事に生まれて安堵していたわけですがどういうことかうちの子供だけ戻ってこない?

他の赤ちゃんはお母さんの元に戻ってきているのに、うちの子だけ僕らの元へ戻ってこなかったんです。どうしたのかなと心配になっていたら、お医者さんは

「そんなに問題がないんですが、血中酸素が薄いのでちょっと様子をみますね」

と言っていました。まあ元気そうだし大丈夫だろうと、その日は家路に帰りました。

仕事中に突然病院から呼び出が来た

その日もいつも通り子供を保育園に送って、会社に出勤しました。

確かお昼休みを終えて、午後の仕事に取り掛かっている最中に会社に電話があったんです。

「お父さんですか?病院のものですが、お宅のお子さんを長野県立こども病院へ移送しますのですぐにきていただけますでしょうか?」

この一報を受けて、まったく事情が読み取れない自分がいました。

血中酸素が薄いといっていたけれど、特に他には問題がないって言っていたじゃないか?

長野県立こども病院ってどこ?なんだそれ?

とにかく親が県立こども病院へ入院の手続きをしにいかないといけないというので、会社を早退して奥さんが入院している病院へ行きました。

そこでNICUのドクターに話しを聞くと

「お宅の息子さんは心臓に疾患があり、血中酸素が薄いことがわかりました。うちの病院ではこれ以上の処置は難しいので、長野県立こども病院へ転院していただくようにお願いします」

は?心臓病?そんなこと今まで言ってなかったじゃないか?今更何を言い出すんだ?

そうこうしているうちに、県立こども病院から救急車とドクターが到着してうちの子供が搬送されていったのです。

とにかく県立こども病院へいくしかない。入院している奥さんに見送られ、義理の母に保育園へ子供の迎えに行ってもらうことを電話しました。

うちの子供が心臓病?心臓病って・・これからどうなるの?

頭の中が真っ白で大きな大きな不安に襲われたまま、僕は車で高速道路をひた走りました。

長野県立こども病院へ

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生まれて間もない僕の子供は長野県立こども病院へ搬送されました。

それまでかかっていた病院のドクターから言われたことは、

原因不明だが心臓に疾患がある為、血中酸素濃度が低いということでした。

今でも覚えていますが、夜に長野県立こども病院の待合室で、担当ドクターからの説明を受けるまで待っていた時間がとても長く感じた。

おそらく1時間程待たされたと思いますが、とても1時間とは思えない時間の流れでした。長野県立こども病院の待合室には、今まで難病と闘ってきた子供たちの記録や手紙などが閲覧できるようになっていた。

それらを読んでみると、実感こそ今だにわかないが、自分の子供に大変なことが起きているのかという思いがこみ上げてきました。

診断結果は肺高血圧症

1時間程度待ったあとに、担当してくれたドクターが説明に来てくれました。うちの子供の症状としてはいろんな検査をしてみた結果、

心臓の筋肉が異様に発達して肥大していたという事がわかりました。

正確な病名は

右心室心筋肥大 肺高血圧症

赤ちゃんというのは、心臓の部屋が繋がっているらしいんです。それが生後まもなくして壁がふさがって、通常の心臓になるということです。

これがうちの子は生まれる前から心臓の部屋がきちんとふさがっていたのではないか?という仮説を先生は立ててくれました。そのため、心臓の筋肉が赤ちゃんとは思えないほどに発達していた。

その結果、肺高血圧症になってしまるのではないか?と。

肺高血圧症とはどのような病気なのか?

それでは肺高血圧症とはどのような病気なのかというと

血液の循環は、肺循環(右心室→肺動脈→肺→肺静脈→左心房)と、体循環(左心室→大動脈→全身の器官・組織→大静脈→右心房)から成る。

肺循環では体の全ての血液が循環しており、何らかの原因により肺での血流が悪くなった場合には全身への血流も悪くなってしまうため、心臓は高い圧力をかけて肺に血液を送り出そうとする。

肺高血圧症とは、こうして心臓から肺へ血液を送る肺動脈が高血圧となっている状態で、肺の小動脈で血液が流れにくくなっている(肺血管抵抗が高い)ことが疾患の本体であり、平均肺動脈圧25mmHg以上と定義されている。

肺高血圧症の初期段階では心臓に負担がかかりつつも心拍出量が保たれて自覚症状はないが、悪化して自覚症状が出始めた時点では、心拍出量が低下し心臓の機能はかなり弱まっている。

代表的な症状は、全身への血流が悪くなり酸素が行き届かなくなることによる「労作時の息切れ、呼吸困難」であり、さらには「易疲労感、動悸、胸痛、失神、肺出血、喀血」などが現れることもある。

また、肺高血圧症は肺循環を担う心臓の右心系に負担がかかるため、進行に伴い右心不全が現れるなど、予後が不良の危険な疾患である

一般社団法人 日本循環器学会HP 武田先生の解説より引用

循環器系の病気で、内容を読む限りは結構深刻な病気です。

具体的な治療方針

それでは、うちの子の場合はどのような治療方針になるのか?

心臓については、塞がらないといけない部分がすでに塞がっているために、外科手術の類は必要ではないということ。

うちの子と逆のケースで、生まれても心臓の部屋が塞がらない場合は外科手術をしないといけないそうです。その点については安堵しました。

ですが、肺高血圧症はいつ治るかまったく目処がたたない病気らしい。治らないでずっと付き合っていかないといけない場合も覚悟しなくてはいけない。具体的な治療は酸素治療をするしかないという事。

とりあえずの方針として、ある程度の期間入院をして経過を観察するという点。状態が安定してきたら自宅に酸素の機械と酸素ボンベを用意して退院するということでした。

あーなんだか大変なことになったな・・。と、とりあえず事の経緯を奥さんに電話しました。

黄疸がひどかった

県立こども病院のドクターによると、肺高血圧症も困るけれどそれよりも緊急性があるのは黄疸がすごい値であるということ。

なぜ、この黄疸を今までの病院で処置しなかったのか?とこども病院のドクターは首を傾げていました。黄疸の光線治療を早速開始しているが、値が安定しない場合は全身の血液を全て入れ替えなければいけない。と言われました。

全身の血液を入れ替える?

その場合は、夜中でも僕の携帯に電話がかかってきて知らせる。ということでした。

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新生児黄疸というもので、うちの子供達は割とこの黄疸に引っかかり光線治療を受けてきました。

ですが、この子の場合は数値がとにかくやばい値だったらしいです。心臓病の次は黄疸かよ・・・。

まったく前途多難な育児がスタートしたな・・。と、夜の11時過ぎにこども病院をあとにしました。願わくば、夜中に電話がかかってきませんように・・・

新生児黄疸は峠を越えた

肺高血圧症と診断されながら、全身の血液を全て入れ替えないといけないくらいやばい黄疸の症状に陥っていた赤ちゃん。

なんとか峠を越えたらしく、数値は安定してきたと電話がはいりました。脅かさないでください。

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奥さんも退院してきて、僕ら夫婦は子供を連れて毎日県立こども病院へ足を運びました。長野市から安曇野の県立こども病院までは高速道路を使えば45分くらいで通うことができます。

ガソリン代と、高速代がバカにならないけれど一人で戦っている我が子いるんだから、長野市内から通わないなんて選択肢はありえませんでした。

実際、長野県立こども病院は全国的にも稀な、子供のための病院です。ここには全国から難病で苦しく子供たちがやってきます。親御さんのために、隣に賃貸宿舎も設備しているほどなんです。

僕ら夫婦は、高速で1時間圏内に住んでいたということはラッキーだったとポジティブに捉えることにしました。

酸素チューブが手放せない赤ちゃん

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赤ちゃんとはいえ、パタパタと動いたりします。その度に酸素チューブが外れる可能性があるので、ほっぺたシールで貼り付けて固定しています。

とにかく血中酸素濃度が低いから酸素を流してそれを補ってあげないといけない。実際に酸素チューブを外すと、すぐに酸素濃度をモニターしている計測器からアラームが鳴るんです。

酸素を与えていないと、数値が80台くらいなんですが、酸素を吸わせていると90後半まで持ち直す。ちなみに健常者では100近い数値です。

お風呂にいれるときも酸素

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初めての赤ちゃんではないから、子供の沐浴くらいお手の物!と思っていたら間違いでした。酸素チューブがなんせ邪魔なんです。

これは大きくなって動くようになってきたら大変だろうな・・。とその時は想像していました。

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うーんそれにしても赤ちゃんはかわいいなあ。

肺高血圧症なんて病気を忘れてしまうくらいにかわいいぜ。僕の子供。ふふふ。

県立こども病院に入院して、2週間くらい経った頃でしょうか、難病と闘うためのいろいろな支援制度などをケースワーカーさんと打ち合わせをしたりする日々を過ごしました。

一体、いつになったら退院できるのかな・・。退院したとして、どのような生活になるんだろうかな・・。なんて、想像していたら思ったより早くドクターから退院の許可がおりたんです。

在宅酸素療法と退院

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肺高血圧症のために長野県立こども病院に入院していた赤ちゃんですが、退院の許可がおりました。

一応緊急性が認められなく、症状が安定しているからということです。

ですが、酸素治療は続けないといけないと言われ、どうするのかを聞きました。

すると在宅酸素療法をしてくださいということでした。在宅酸素療法とは、家に酸素を作り出す機械をテイジンという会社からリースしてもらう。その費用はいろんな制度を利用して月に1万円程度だろう。

という内容です。ちなみに外出するときは、酸素ボンベを持ち歩かないといけない。酸素ボンベは中身が空になったら交換しないといけないが、これは前もって業者に話をすればすぐに持ってきてくれる。

酸素ボンベは月に何本使っても無料である。というのが大まかな内容です。これにより、晴れて赤ちゃんが退院してくることになりました。

テイジンの担当者と打ち合わせをして、退院をする前に自宅に酸素ボンベと機械を設置してもらいました。

自宅に帰ってきた赤ちゃん

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やれやれ。これで毎日の安曇野病院までの往復の交通費がなくなりました。ただ、月に1度は定期検診をうけないといけません。そのほかのことについては、生まれた時の病院で対応してください。となりました。

ただ、酸素はいつになったら外せるかの目処はまったく立っていません。

ちなみにこのころの母子手帳の記録ですが、

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ちょうど3週間で退院をすることができました。

毎日往復1時間半のドライブも、仕事が終わった体には少しずつですがヘビーになってきていたので助かりました。

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自宅での酸素療法は、やはり主に機械による供給。

お風呂などに入れるときに酸素ボンベに切り替え、僕が浴槽で待ち構える。そこに奥さんが酸素ボンベと赤ちゃんを持ってくる。

お風呂に入れたらすぐに機械へチューブを接続しなおして服を着せる。とこのような一連の流れでこなしていくことになりました。

一番はお風呂と外出時ですね。外出はほとんどしないようにしていましたが、検診の時などはやはり酸素ボンベは必須でしたね。

酸素ボンベをそのままズルズルと引きずっていくと、見た目的に目立ってしまうのでテイジンさんはキャリーバッグに入れてカモフラージュしてくれていました。

なんだか旅行をしているように見えますが、チューブが出ていて赤ちゃんにつながっているのです。循環器系の専門医に行くとやはりキャリーバッグを持っている人がいますが、中には酸素ボンベが入っているんですよ。

通院と酸素が外れた日

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赤ちゃんも自宅に帰ってきてから、ずいぶんと慣れてきました。

僕ら夫婦も酸素の取り扱いなどにようやく手際が良くなってきた頃、退院してから初めての県立こども病院へ通院の日となりました。

通院時には、まずはレントゲンやエコーでの検査をおこないます。最初に身長体重を計測して、レントゲンなどを撮ってから循環器系の待合室でひたすら待つ。といった流れでした。

待っている間循環器系にやってくる他の子達を眺めていると、酸素の装着率が3割くらいはいたかな〜。中には小学生くらいのお子さんで、自分でキャリーバッグを引きながら病室へ入っていく子もいました。

一連の検査を終えて、循環器系の先生にエコー検査をしながら調べてもらいました。少しずつではあるが、血中酸素濃度は増えてきているということ。

心臓については、まだまだ経過を観察しないといけないことなどを言われて帰って来ました。

すっかり兄弟仲良くなった

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酸素を吸っていようが、お兄ちゃんにとっては自分の弟です。目を離した隙にちょっかいを出したりするもんだから、ハラハラしたりしました。

家でできることはとにかく酸素を吸わせて経過を観察するしかない。

なんだかもどかしい気持ちもありましたが、言われた通りに過ごしていきました。

酸素が取れた日

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薬を服用させ、酸素を吸わせる。

そして月イチで県立こども病院へ通院。こんな日が2、3ヶ月続いたのかな?

何回めの通院か記憶が途切れてしまいましたが、次の検査で酸素濃度の経過が良ければ酸素を外しても良い。と言われて帰って来ました。

何せ酸素があると、行動が制限されてしまいます。このころには自分でほっぺに貼ってある酸素チューブを頻繁に外すようになっていたので困っていました。

3歳くらいになればしっかりと意思疎通ができるからいいんでしょうけど、0歳〜2歳くらいの間って、子供と完全な言葉でのコミュニケーションとれませんよね?

そういった時の酸素供給ってどうすればいいのかな〜って悩んでいたんです。

でっかいドームに酸素濃度を濃くしてその中で過ごしてもらえればなぁ・・。でもそれじゃ逆に火災とかそういう問題が・・。

悶々とした日々が続いて、ようやく待ちに待った検診の日。

酸素を外す許可が下りた

いつものように検査を終えて、酸素を外した状態での血中酸素濃度の値が98くらいで安定していれば、酸素を外してもいいでしょう。

と先生に言われて、早速診察室へ入って診断を受けました。

心臓についてはやはりこの先2年間くらいは経過観察が必要だということ。ですが、血中酸素濃度は安定しているので酸素は今日から外していいでしょう。と先生に言ってもらえました。

病気が完治したわけではないのですが、やっと酸素から解放された。

たかが数ヶ月の酸素生活でもかなりストレスが溜まっていたことがわかりました。おそらく今でもずっと酸素と一緒に生活している同じ肺高血圧症の人はたくさんいます。

うちの子供は、本当に軽い部類の肺高血圧症だったのかもしれません。

心臓の疾患は

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長野県立こども病院へ半年ずつ通っては、エコー検査などを繰り返し、2年くらい経過した日のことでした。

心臓についてももう心配はいらないでしょう。と、担当医から太鼓判を押してもらうことができました。心臓病も完治したんです。

まあ元々心臓は筋肉が肥大していたというだけで、それが成長とともにどのような影響がでるかを観察していたわけでした、重度な疾患でなかったのが幸いしました。

本当に症状が軽く、完治という道をたどることができましたが2年間の難病生活は僕の人生にとって深く考えさせられる期間となりました。

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今では普通に走り回って、周りの子供と同じように遊べるようになっています。

健康のありがたみって、やっぱり病気したときに一番実感するものです。

子供って、本当に自分にとって世界で一番に大切な存在なんだなって。もうそれだけですね。

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